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西ドイツ(当時)の画家エトガー・エンデ(Edgar Ende 1901-1965)の作品は私にとって、ある種の世界を感性で知覚できる形象理念(「エンデのメモ箱」)として具現化して見せてくれた作品だった。この「世界」を明確な日常的概念言語で表現する能力は私にはない。しかし私にとっては「あの世界」は独自の現実性を持ってはっきりと実在するものであり、現実であれ描くものにおいてであれ時におぼろげながらその片鱗を認識させるものだった。
昔学校の図書館で「闇の考古学」という本を見つけた。これはエンデの絵について息子のミヒャエルにインタビューしたものである。この本に刺激されて私はエンデの画集を購入した。翼の生えた山の絵、鉄橋の下で羽のある人物が本を読む絵、水に満たされた室内に天球がある絵などがあり、自分の内面において大いに触発されるものがあった。
作者は古今東西の宗教に関心を持っていたということで、エンデ父子の影響で私はルドルフ・シュタイナーの著作を読み始めた。図書館にはシュタイナーの著作は置いてなかったが(後で知ったが「アカシャ年代記より」は置いてあったようだ。しかし思想ではなく幻想文学のコーナーに置いてあったようである)、学校への途中に大きな書店があり、シュタイナーの著作がたくさん置いてあった。私はそこで「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(イザラ書房)や「自由の哲学」(イザラ書房)といったシュタイナーの著作をいろいろ購入して読んだ。こうした世界観が今私が何か描くときの基礎的土台になっている。
誰もが「あの世界」の感じを具象化して表現できるわけではない。技術や評価などとは別に、これのできる人とできない人がいる。貴重である。