ふろ式 - 2013.11.28 Thu

<コラージュ>:
「なーるほど、あんたの言わんとすることはだいたい見当がつきました。あんたはこういいたいのでしょう“風呂場はどこだ!”」
「悪質な冗談はやめてください!!わたしは“女の裸はどこだ!”といいたいのです」
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解説:「神秘ロマン劇場」
この作品から、新しいSinger Song Writerを使って作っています。この作品ではノヴァリス(ドイツのプログレッシヴ・ロック・バンド)やアラン・ホールズワース、ファイヴ・ガイズ・ネイムド・モーなどをモデリングにしています。
「あしゅら湯はどこに?」は自分でも気に入っている曲で、ノヴァリスのアルバム「道化師」をイメージして作っています。この曲と「魔法使いの弟子」(タイトルはゲーテの物語詩に由来)は「道化師」の影響を強く受けた曲ですが、「魔法使いの弟子」の方はあまりにも似すぎてしまったと思います(そういう曲はけっこうある)。
「母たちの国」の題はゲーテの「ファウスト」に由来しています。
「ラーメン屋の女の子」の旧題は「無敵看板娘」で、これは同名のマンガをテーマにした作品です(佐渡川準・秋田書店)。
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祖国は祖父、祖国は父 - 2013.11.25 Mon

<コラージュ>:祖国の中心が、このナラスカのチャイハナのそばにある。100年に一度、富士山の団体が巡礼に訪れる。その時は地面の穴という穴から奇妙な音楽が流れるという。
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解説:「シュールメルヘン劇場2」
「シュールメルヘン劇場」同様古いSinger Song Writerを使って作った初期の作品で、直したい部分がいっぱいあります(これもデータが残っていないので今では修正が不可能)。
この作品でも既存の音楽を参考にしていて、ステーヴ・ハケットの「イカロスの飛翔」やマリリオンの曲などをイメージしています。
「ジェッディン・デデン」(祖先も祖父も)は私の作品ではなく、トルコの軍楽を元にしています。一部ミスがありますが、残念ながら現在ではデータ不在のため直すことができません。
「秋田の猫」というタイトルは「じゃりン子チエ」(はるき悦巳・双葉社)の中の「秋田県事件始末」(46巻に収録)のことです。
「魔法の壺パート2」や「石の都市」は以前ちょっとエスニックかぶれしていた時期の作品で、西アジアや中央アジアをイメージしています。
夢の能楽堂 - 2013.11.22 Fri

<コラージュ>:夢の能楽堂はどこにもない場所にある。誰でもない存在たちが、不可視の存在のために夢を演じている。
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解説:「シュールメルヘン劇場1」
「シュールメルヘン劇場」の1と2は、まだパソコン慣れしていないときに家族のパソコンを借りて作った作品で、現在ではデータが残っておりません。間違っているところや直したい箇所がたくさんあるのですが、残念ながら直すことができません。
「シュールメルヘン劇場」を作ったときにはまだパソコンで曲を作ることに慣れておらず、曲によっては既存の音楽を参考というかモデルにして曲作りをしていました。ここではスティーヴ・ハケットの「スペクトラル・モーニングス」やアラン・ホールズワースの「ホーム」、キャラヴァンやマドレデウスの音楽などを模倣した部分があります。
「不思議なカクテル」(旧題「魔法のカクテル」)は初めてパソコンで作った作品です。ここにのせた音楽はすべてSinger Song Writerを使って作っていますが、このとき使っていたソフトは後の作品で使っているソフトよりも古いバージョンのものです。
「浜茶屋の親子」はキャラヴァンの曲をイメージして作っています。
曲のタイトルでマンガやアニメ、小説などを参考にしてつけているものがありますが、これには深い意味はなく、タイトルが思いつかないので便宜上つけているという程度のものです。作っていたときはまさか自分以外の人間に公表することになるとは夢にも思っていなかったので、既存のマンガなどをそのまま適当に引用していました(ここではタイトルを修正して載せています)。
夢電鉄 - 2013.11.18 Mon

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HP「夢の能楽堂」にて趣味で作った音楽を公開しております。
これらの曲については旧ブログで詳しく解説しましたが、事情あってこのブログを閉鎖したため、この場で再び解説を書いていきたいと思います。
ちなみに旧ブログで公開した記事の多くは今後このブログで新しく投稿しなおしていきたいと考えているので、ブログの画風や作風がころころ変わることになると思います。
これらの音楽はもともと純粋に自分の楽しみのためだけに作られたものであり、本来他人に公表する意図はまったくなかった作品です。しかしこれらの曲の存在を知った家族から公表をすすめられたためHPにのせました。
多くの曲はエレキギターで作っていますが、楽器なしで作った曲もあります。私は正式な音楽教育を受けておらず、勘というか感覚で作っています。また既存の曲をモデルにして作ったという曲が多くて、モデルにした曲によく似てしまったというものもたくさんあります。
次回の記事から、古い順に解説していきたいと思います。
夜を走る、三人の童 - 2013.11.14 Thu

夢の劇場:
夜の田舎を3匹のキツネが走る。
大声でわめき、歌い、踊りながら走る、
騒々しいキツネの童女たち。
1人目は頭の穴から鯉のぼりを出し、大きな口から舌を出す。ヨダレが地面にたれ、そこから青いバラの花が咲く。
2人目は剣を持ち、歌を歌う。「Harujänta!!」
3人目は額に書かれている数字がくるくると変わる。数字が止まったとき29(にく)マークになると、人々が魔法でサバの缶詰に変化する。
1人目は出会った人間を眠らせていく。
2人目は出会った人間の命を取る。
3人目は出会った人間を生き返らせる。
誰もキツネたちに出会ったことを覚えているものはない。
キツネは夜、鏡のあるところならどこにでも現れる。
「鏡の中の鏡」の中からやってくる。
鏡はキツネたちの主食だから。
ルドルフ・シュタイナーの肖像 - 2013.11.11 Mon

典型(タイプ、有機体の一般的な像)が時間的に先ず最初に最も単純な形態を取って現れるからといって、時間的に後続する形態がそれに先行する形態の結果であるとは言えない。全ての形態は典型の結果であって、最初の形態も最後の形態もそれが典型の現象形態であることにおいて変わりはない。真の有機科学の基礎にはこの典型を置かねばならない。そして、単に個々の動物、植物の種類を系統的に導き出そうとしてはならない。典型は有機的世界の全ての発展段階を、言ってみれば赤い糸のように貫いている。この典型をしっかりおさえ、この典型と共に大きく多様なこの領域を探索しなければならない。そうすればこの領域が理解できるようになるが、そうでない場合、この領域は他の経験世界全体と同様に関連のない個々の部分に分解してしまう。時間的に後に来るもの、合成されたものがそれに先行する単純な形態から導き出されると考え、この先行するものが根元的であると考えたとしても、それは誤解にすぎない。なぜなら、それはある特殊形態を別の特殊形態から導いたにすぎないのだから。
…(中略)。それは、後に起きることを前に起こったことから説明するのは本当の説明でないこと、そして、時間的に一番目のものが原理的に第一のものではないことである。
ルドルフ・シュタイナー
(参考「ゲーテ的世界観の認識論要綱」筑摩書房)